幼少期を振り返る
僕は今年から社会人になる。
社会に出る、この世で一番嫌いなことかもしれない。
インターネットで生きてきた自分がなんで今更リアルで生きなきゃいけないんだ。
そんな思いを漠然と抱えてる。
今まで色んなことがあった。
ちょうど良い機会だし、インターネットの海に流しておこうと思う。
読んで面白いものになるかは分からないけど、他人の人生なんてそんなものだろう。
少しでも笑ってくれる人がいたら、悪い人生じゃなかった、と思えるような気もする。
今回は中学入学まで、というかそれ以降は特段面白い話が思いつかない。
1.海外住み時代
イエメンという国で母は僕を授かったらしい。
いやもういきなり共感されないわ。
イエメンってどこだよ。
その後、一旦日本に帰り、横浜で僕は生まれた。
だから「出身は?」と聞かれると「YOKOHAMA!」と答えてる。めんどくさいから。
ただ1歳になるくらいにスリランカという国に行き、結局8歳くらいまで海外を転々としていたため、横浜に地元愛なんてないし、そもそもよく知らない。穴場のデートスポット?良いから赤煉瓦行っとけって。
皆さんがよくネタにしているなっげぇ〜名前の首都はスリジャヤワルダナプラコッテだが、あれは政治的な首都。
コロンボは経済の要の都市で、海外から仕事で来た人の大半はここに集まっていた。
要するにワシントンD.C.とニューヨークみたいなもんだ(自分が住んでいた時の記憶を頼りに書いているので間違っているかもしれない、もう国ごと消滅していてもおかしくない)。
そこで僕はブリティッシュ・インターナショナル・スクールに通うことになった。
スリランカは昔イギリスの植民地でもあったので、金持ちとか海外から来た子は大体ここに行くのだが、日本人は僕一人だった。
日本人学校も他にあって、日本人のコミュニティで知り合った友達は皆そこに通っていたみたいだけど、僕の性格的に合わなかったらしい。
(余談だが、日本に帰ってから転校のあいさつのときに「ブリティッシュ・インターナショナル・スクールから来ました!」と正直に言っただけなのに爆笑されたことを覚えている。どうやら「ブリ」の音が最高に面白かったらしい。うんちブリブリブリティッシュスクール!w僕は帰って来て早々日本に絶望した。)
娯楽が少なく、遊びと言えば雲梯とか木登りとか、原始的な遊びしかない。やってることはそこそこレベルの高いチンパンジー。
当時から笑いのためならいくらでも体を張るスタンスだったため、数少ない遊具である雲梯にぶら下がり、「ここで逆さまになったらウけるぞ!」と思って反転した瞬間地面に落下し、首の骨を折りかけ1カ月近く入院した。普通にチンパンジー以下だ。死ななくて良かったね。
入院中は僕をかわいがってくれていた近所の焼肉屋のおじさん、パクさんがサムゲタンやらピビンパやらを石焼きのまま持ってきてくれた。そんなことある?まさか器がアチアチのままだとは思わず、普通にめちゃくちゃ火傷した。ちなみにパクさんも火傷した。なんで?
そんなスリランカにも唯一の文化的な遊びがある。それが女子に混じってのオママゴトだ。
そこで初恋の女子(名前はイルマ)に「お前は私のペットね」と言われて「お前も俺のペットだ」とニュークラウンもびっくりな訳の分からない英会話をして、二人ともペット役になったのを覚えてる。これ普通に性癖だろ。
一番仲がよかったヤシットって男子には日本語も教えた。
基本的に会話は英語、だから僕も現地の言葉はよく分からないし、ヤシットも日本語を全く知らなかったから、とりあえずお互いに自分の国の「hello!」を教え合うことになった。
僕は迷わず「ちんちん」って教えた。
ヤシットが何と言ったかは正確には思い出せないけど、家でメイドに嬉々として話したら
「アー!ソレハチンチンノコトネー!」
って言ってたし、お互い様だった。
(ちなみにスリランカの家は19485984部屋くらいあったからメイドも590714903717518549人くらいいた、あるいは2人くらいだったかもしれない。)
スリランカでの生活は基本的には楽しかったけど、内戦してたから結構危ない時期だったらしい。
僕のいた時期はWikipediaにも載ってる。
解放のトラて。
子供ながらに覚えていたのは、自分の家の前に実銃を持った兵隊がいたこと、そしてその兵隊が増えると「今日はやばい日だね」と学校を休む時があったことだ。
兵隊の数、何よりも信頼できる指標だ。
テロも数多くあり、朧げだが2回ほど遭遇している。
プールで遊んでたら隣のホテルの窓ガラス全部割れたこと、皆さんはありますか?
そんなこんなで親父の仕事がゲリラやらなんやらのせいで長引いて(半分橋を作ると半分ゲリラに壊されてたらしい、「永遠」じゃん、ウケる)、僕は母と一足先に日本に帰ることになった。
お別れ会で出したピカチュウのケーキ、まだ知られてなかったから「プーさん」って言われてキレ散らかしたな、何となくの色味しか合ってないだろ。
それもそのはず、当時はポケモンのゲームもアニメもスリランカにはなかったからだ。
ちなみに僕は夏休みには日本に帰っていたので、そこでゲームボーイとポケモン赤をゲットしていた。
まぁこのゲームボーイ、運転手にパクられたんだけどね。クビにしました。人間何してもある程度許されるけど、ゲームボーイをパクるのだけはだめだ。
でも今だと普通に通じるんだろうな、ポッキモン。
合間合間にイギリスに行ってお気に入りのぬいぐるみ(チャッピー)を失くしたり、モルディブに行ってめちゃくちゃ巨大なコブダイに追いかけられて殺されそうになったり、タイに行って水かけ祭りで大量のニューハーフに追いかけられて水浸しにされて「オー!ベリキュートボーイ!」とキスされまくって号泣したりしたこともあったけど、長くなるから割愛しよう。割愛させてくれ、頼む。
コブダイのニューハーフ
2.帰国
日本に帰ってきてからは苦難の連続だった。
先に言うと、「海外は素晴らしい、日本はゴミ」みたいな海外被れクソ野郎みたいな思想は僕には全くない。日本のラーメン最高!
最高のラーメン
ただ今までと環境があまりに違い過ぎた。
まず言葉遣い。日本語が難しすぎる。そもそも言葉もわからないし、敬語も意味不明だった。そのせいで帰ってきて2年くらいは英語と日本語が混ざった「ルー大柴亜種」みたいな言葉遣いだった。
「ティーチャー!今日のランチ、BAAAAAAD!!」
それが今や国文学研究したりしてんだから、人生分からないもんだな。
ちなみに上の言葉は「お楽しみ給食」の日に発せられた。
僕のいた小学校は月に一度、人気の給食のアンケートを取って献立が決められる日がある。
この日は「味噌ラーメン」「揚げパン」「冷凍みかん」「コーヒー牛乳」だった。すごくない?何のシナジーもない。そらルー大柴にもなるわ。
あと生活習慣の違い。
特に靴下。
向こうではずっと素足だったため(サンタクロースが半袖半ズボンで来る国だ)、靴下を何のために履くのかわからなかった。だから靴下を履いた日は学校で防災頭巾に丸めて詰め込んで裸足で帰ってた。そんなんじゃ防災出来ねぇだろ。
親は参観日の度に回収してたから、相当恥ずかしかったらしい。おたくの息子さんの防災頭巾、靴下で爆発してますよ笑。
その後遺症で僕はいまだに靴下を片方失くしまくっている。
あと、授業。
みんなで黙々と同じことやるのが嫌すぎて、一度定規をわざと忘れたら担任にぶん殴られた。まぁ後で謝られたから気にしてないんだけど、たまたま定規忘れた生徒が5人くらいいたのよ。そんで僕が一番最後に謝りに行ったもんだから「すまん、溜まっていたのを放ってしまった」って謝られて笑っちゃった。罪悪感の芽生えたベジータかよ。
他にもまぁ同調圧力やらなんやら、理解できないことが多くて先生には嫌われるし友達も最初はできなかった。
まぁ何話してるか分かんないし防災頭巾爆発してるし常に裸足だし毎日工事現場とか橋の下から「長めの棒」を拾ってきてぶん回してたからってのもあるんだけどね。シャーマンキングのOP歌いながら。
ただうちにはゲームが沢山あったから、それで皆と仲良くなれた。ちょろいな小学生。スマブラDXありがとう。
ようやく日本での生活にも慣れてきた高学年、僕は2回の長期入院を経験した。
1回目はプール熱。
なんか脳にウイルス入ったらしく、40度の熱でぶっ倒れた。高熱を出しながらずっと「ゾウさんがいる」と呟いてたらしい。いねぇよ。
2回目はなんと急性肝炎。
これはいまだに原因不明。
γ-GTP(だったかな)が、成人でも50以下、小学生なら15くらいなのに僕の数値150くらいだったんだよね。パワーインフレしすぎな漫画か?
あと3日遅ければ死んでたらしい、クリニックの人が気付いて即紹介状書いてくれたおかげだ。
こうして書いて振り返ると割りかし死にかけてるな。
ちなみに僕をぶん殴った先生は入院中足繁く通ってくれた。勉強も教えてくれたし、皆からの手紙も持ってきてくれて、ありがたかった。
ただ手紙の一つ、僕の好きだった女の子からのメッセージが「給食のプリンが松」で終わっていたのだけ本当に許さない。松???給食のプリンは松ではないが???何????
まぁそんなこんなで全快し、今も健康に生きてる。
その後、遊戯王だけしていたかった僕の意見はねじ伏せられ、クソつまらない受験勉強をさせられて、私立の中高一貫校に入学した。
日本の受験の様子
跳び箱を腕を逆さまにして跳ぼうとした結果腕を折った小学生にしてはまぁ頑張ったと思います。
塾は頭のいい金持ち小学生の巣窟で、最初嫌いだったな。
でも面白FLASH倉庫の話で友達ができて良かった。やっぱ頭のいいガキはどんなに育ちが良くてもFLASHにハマるんだよな。
ありがとうペリー来航、ありがとうNightmare City。
今思うとこの辺からインターネットの住人になり始めていたな。
そんなこんなで無事私立ニコニコ動画高校附属面白FLASH中学校に進出したらへんで、今回は終わりにしよう。
これで終わるかもしれないし、続くかもしれない。
ただ中高以降の僕を知っている人は多いから、恥ずかしいし、別に書く必要もないかなとも思ってる。
ここまで読んでくれてありがとう。
最後に一つ、明日役立つ豆知識を…
スリランカのカレー、めっちゃ美味い。
ありがとうございました。
それでは。