インターネット正義マンとコンテンツの話
みなさん、インターネットって知ってますか!
とても便利なので、ぜひ使ってみてください!
それでは!
はい。
というわけで、なんとな〜くインターネットに蔓延る有象無象の話を軽〜くしようと思います。
リテラシーが低過ぎる
近年のあらゆるインターネットコンテンツに関して言えること、それはリテラシーの低さ。
簡単に言えば、めちゃくちゃバカな人が結構いるんです。
ニーチェ先生も、全員が読み手になる時代を危惧してたわけだけど、まさに危惧すべき状況になってる気がします。
どんなバカがいるのか
色んなタイプのバカがいます。
例えば自分語りバカ。
はい、こういう人ですね。草を生やすな。
僕は頭がいいので「知らんがな」と返しています。
そしたらこうなりました。
そんなことってある!?まだ語る!?
このリプライが来た時は吐きながらのたうち回りました。
あとは普通のバカ。
これ見て僕は「無理」となりました。
俺自身が「無理」になることだ…。
正義マン
でもこの人たちはまだ良い方で、近年のツイッターには「正義マン」と呼ばれる人が沢山います。
僕は個人的に「教養のなさ」「自己の肥大化」「勘違いした多様性」の三点から生まれた存在だと考えています。
「教養のなさ」というのは、単に様々な事物や思考を知らないということです。
「自己の肥大化」というのは、現実世界での承認されなさ、実力不足なのにプライド高いなどの「捻れ」が生み出す、「私ってこうなんだぞ!」という態度です。
「勘違いした多様性」は前述したことにも繋がるのですが、「無知」「捻れたプライド」をも「でもそれがかけがえのない私、みんな違ってみんな良い😁」という考え方です。
んなわけねーだろ。
聡明なる読者やフォロワーの皆様はよく知っていると思いますが、「正義」やら何やらは「相対」です。
内面化し過ぎては意味がありません。
まぁこうしたいわゆるダメ三種の神器が揃い、絶対化した「正義マン」、いわゆる「ダメマン」が誕生するわけです。
コンテンツに関して
あらゆるインターネットコンテンツに関わる人は、こうした人々にコンテンツを届けている「可能性」と「自覚」が必要です。
そして、届けている側もまた、こうした人々が内包されている可能性を「危惧」するべきです。
昨今の炎上、まぁ炎上といっても昔の感覚で言えば焚き火くらいですが、このインターネットに蔓延るバカな人たちの齟齬が原因なことが多いと感じています。
批判と文句は違う
別に批判をするなとは言いません。
言いたきゃ言えば良いと思います。
でも批判と文句は違います。
批判というのは「きちんとした価値尺度」から良い悪いの判断をすることです。
「きちんとした価値尺度」というのは、一定の普遍性があるものです。
だけど、「正義マン」の価値尺度は「自分の正しさ」でしかないです。
だから「批判」にはならず「文句」にしかならない。
最後に
こんなことを何となく書こうとしたのは、特にVtuber界隈で炎上が多くなったなぁ〜と感じたからです。
皆さんも「正義マン」の正義執行に気を付けながら生きていきましょうね。
ちなみに出会ってしまったときの対処法ですが、相手はバカなので対処法はありません。
現実では殺人は犯罪ですが、インターネットにおける殺人ことブロックは正当な権利です。
ガンガンブロック(殺)しましょう。
インターネットって便利〜!
あとラーメンってうま〜い!