『Frozen Ⅱ』の感想、雑に。
少し遅くなったけど、『Frozen Ⅱ』を見てきました(冬なので)。
個人的には前作よりも面白かったです。
以下ネタバレガンガンでいきます。
(話は逸れますが、前作はあまりに主題歌の推し方が下品すぎて、辟易してました。「This is me」とかもそうだけど、リアルの人間たちが自分の免罪符として使ってるの見ると腹立ちません??????)
ストーリーの中で個人的に面白かったのは、精霊信仰の話です。
特に精霊、例えば水の精霊「ノック」なら「ケルピー」や「ウンディーネ」などがパッと思い浮かびますね。
そんな精霊信仰を重んじるノーサルドラ族の元ネタは「サーミ」であると明かされていますが、総体として見ると、僕はこの話「ネイティブアメリカン」の話と少し重なって読めました。
精霊信仰をする民族(ノーサルドラ族)と王国の衝突という表面上もそうなんですが、王国側、つまりルナード国王(アナやエルサの祖父)が「ダム」を贈るというところ、僕は「なるほどなぁ」と思いながら見ていました。
「ダム」というのは、ある種「自然」をコントロールしようとする近代の思想を体現しているようにも思えます(まぁ起源は古代エジプトらしいんですけど、そんなこといったら僕はビーバーだと思う[注]ので無視します)。
ですので、近代的思想の対立が如実に表されてると言えるでしょう。
実際、この「ダム」は、国王がノーサルドラ族の精霊信仰を恐れたゆえに造られたものです。
ネイティブアメリカンの精霊信仰に関しては言うまでもありませんが(ココペリとか)、迫害者はかなりこうした信仰を恐れます。
精神の強さは侮るなかれです。
ネイティブアメリカンの話だと、例えば「ゴーストダンス」の話が想起されますね。
踊りによって死者の魂が蘇り、楽園へと行ける、なんて、なんとも突拍子もないように思えますが、デカルトしかり、肉体はあくまで精神の器として考えられます。
つまり、例え肉体が傷つこうと、精神としては無敵なわけです。
こうした考え方は当時の迫害者たちからすればまさに「反逆」「蜂起」に見え、そこから「ウンデット・ニーの虐殺」に繋がっていきます(この辺あんまり詳しくないので間違ってたらすみません)。
まぁそれはさておき、「Frozen Ⅱ」で僕が評価したいのはヒーローの血筋を「悪」として描いた、というところです。
「父親殺し」はプロットとしてもありがちですが、血脈至上主義的なディズニーにおいてこれが表現されることには意義があるように思えます。
その辺を全て受け止めて、血脈として受け継がれた意志を背負い、アナとエルサの二人が調和を創ろうとしていくのは、ディズニー映画として、良いと思いました。
自分の根源的なルーツを辿り、運命に抗うでもなく、従うでもなく、受け入れていこうとする、そんな映画なのかな、と思いました。
それは贖罪というよりは、もう少し希望に傾いたものではないでしょうか。
という良い感じで終わろうと思いましたが、
ただ一つ強く批判させて頂きたいことがあります。
「地の精霊」、アース・ジャイアントくんをテンプレ脳筋バカ巨人岩石投擲大暴れエクスプレスにするのはやめてください。
世の中の岩タイプに失礼です。
(当ブログは陰キャ岩タイプの皆様を応援しています。)
以上雑な感想でした。
なお、こんな雑記よりしっかりとした面白を読みたい方のために彼の者の記事も載せておきます。without wax...
https://sethsx.hatenablog.com/entry/2019/12/21/011826
[注]読み直して気づいたんですが、僕は自分のことをビーバーだと思ってるのではなくて、ダムの起源がよく知らんけどまぁビーバーが作ったのが最初なんじゃない?って意味で書いたんですけど僕はビーバーです。